『暗殺教室』第139話 過去の時間・6時間目 感想、もしくは、見てくれた人だけが見えない
今回の表紙はラピュタか。
表紙だけでも出してもらわないと、殺せんせーの存在をうっかり忘れそう。
アニメで殺せんせー成分を補充してるからいいものの。
さすがに殺せんせーを忘れることはないけど、なんだかんだで「死神」に感情移入しちゃってるんだよね。
そいでもって、いまだに殺せんせーと「死神」が直結してないんだよ、私。
柳沢は「死神」の体内に自爆装置を埋め込んでいたのか。
まあ、それくらいはやるだろうね。
そして、部屋にもいつでも「死神」を殺せるように、さまざまな仕掛けをほどこしていたらしい。
それを知っていたから、「死神」は雪村先生をあの部屋から追い出したのかもね。
柳沢の「拾ってやった恩も忘れて」というのは、やっぱり雪村家が経済的に柳沢家に依存しているということなんかな。
で、そんな家庭の事情を茅野ちゃんは知らないから、あんなのと別れちゃえ、と簡単に言ってる?
知ってたら、仕事をバリバリ入れて、稼ぎまくりそうだけど。
でもそれって、妹の未来の選択肢をせばめてしまいそうだし、雪村先生はそれを望まないだろう、きっと。
柳沢にとって、「死神」は「モルモット」だし、雪村先生は「所有物」。
そのふたつが自分の思い通りにならない。
そして、頭脳こそがプライドの根幹と言っていい柳沢にとって、自分の研究が「モルモット」によって操られていた、というのは何よりも屈辱だっただろう。
そして、操られていた結果としても、自分がすべての情熱を注いできた研究が、人類史に残る大失敗状態。
これはもう、平静でいられるわけがないよなあ。
見開きで出てきた触手人間な「死神」がなぜだか美しくみえる。
この姿が固定化されていたら、どういう展開になっていたかなあ、と脳内でいろんな殺せんせーのシーンを、この「死神」に置き換えてみたんだが、なんだか拒絶反応がっ。
いや、こんな人に、エロ本の山の上で正座して欲しくないよな(爆)。
「この程度じゃ死にませんねぇ」というセリフに、ちょっと殺せんせーを感じた。
雪村先生はやっぱり「死神」を見捨てていなかった。
1年後に死ぬ身だとわかっていても。
そうだよな。今の「死神」は「死神」だもんなあ。
心を通わせた彼が「死神」として死んでいくことを、受け入れるのはどうしてもいやだったんだろうな。
だから、必死でつなぎとめようとした。
「戻れる場所」に。
すべてが見えた気になっていた「死神」は、危険ではない雪村先生を見ていなかった。
この悲しい結末。
「死神」に雪村先生が見えていたなら、すでに傷つきあんな危険な場所に取り残されていた雪村先生を守る行動に出ていただろう。
そして、「死神」の能力なら、雪村先生を守りつつ、あの研究所から脱出することも可能だっただろう。
雪村先生を殺したのは、柳沢がつくった触手地雷だったけれど、殺せんせーが自分が雪村先生を殺した、と断言しているのは、雪村先生の死の一因は自分にある、とかいう意味ではなく、本当にそう考えているからなんだろう。
力に溺れ、自分を見てくれていた大切な人が見えていなかった自分を、彼は生涯、許さないんだろうなあ。
「死神」である彼にとって、「敵」と「障害」しか見えないということは、そんなに困ることじゃない。
人間の集中力には限界があるから、不要なものを排除し「必要」なものだけにリソースを絞り素早い対応を可能にする、というのは高度なスキルと言ってもいいんじゃないかと思う。
しかし、「死神」のスキルが最高潮に達した時、もっとも必要な存在が、不要なものとして切り捨てられた。
人類最高の「死神」のスキルは、雪村先生を必要としなかった。
彼を人間として見てくれた、たったひとりの人だったのに……。
人間としての彼は、雪村先生だけを必要としていたのに……。
表紙だけでも出してもらわないと、殺せんせーの存在をうっかり忘れそう。
アニメで殺せんせー成分を補充してるからいいものの。
さすがに殺せんせーを忘れることはないけど、なんだかんだで「死神」に感情移入しちゃってるんだよね。
そいでもって、いまだに殺せんせーと「死神」が直結してないんだよ、私。
柳沢は「死神」の体内に自爆装置を埋め込んでいたのか。
まあ、それくらいはやるだろうね。
そして、部屋にもいつでも「死神」を殺せるように、さまざまな仕掛けをほどこしていたらしい。
それを知っていたから、「死神」は雪村先生をあの部屋から追い出したのかもね。
柳沢の「拾ってやった恩も忘れて」というのは、やっぱり雪村家が経済的に柳沢家に依存しているということなんかな。
で、そんな家庭の事情を茅野ちゃんは知らないから、あんなのと別れちゃえ、と簡単に言ってる?
知ってたら、仕事をバリバリ入れて、稼ぎまくりそうだけど。
でもそれって、妹の未来の選択肢をせばめてしまいそうだし、雪村先生はそれを望まないだろう、きっと。
柳沢にとって、「死神」は「モルモット」だし、雪村先生は「所有物」。
そのふたつが自分の思い通りにならない。
そして、頭脳こそがプライドの根幹と言っていい柳沢にとって、自分の研究が「モルモット」によって操られていた、というのは何よりも屈辱だっただろう。
そして、操られていた結果としても、自分がすべての情熱を注いできた研究が、人類史に残る大失敗状態。
これはもう、平静でいられるわけがないよなあ。
見開きで出てきた触手人間な「死神」がなぜだか美しくみえる。
この姿が固定化されていたら、どういう展開になっていたかなあ、と脳内でいろんな殺せんせーのシーンを、この「死神」に置き換えてみたんだが、なんだか拒絶反応がっ。
いや、こんな人に、エロ本の山の上で正座して欲しくないよな(爆)。
「この程度じゃ死にませんねぇ」というセリフに、ちょっと殺せんせーを感じた。
雪村先生はやっぱり「死神」を見捨てていなかった。
1年後に死ぬ身だとわかっていても。
そうだよな。今の「死神」は「死神」だもんなあ。
心を通わせた彼が「死神」として死んでいくことを、受け入れるのはどうしてもいやだったんだろうな。
だから、必死でつなぎとめようとした。
「戻れる場所」に。
すべてが見えた気になっていた「死神」は、危険ではない雪村先生を見ていなかった。
この悲しい結末。
「死神」に雪村先生が見えていたなら、すでに傷つきあんな危険な場所に取り残されていた雪村先生を守る行動に出ていただろう。
そして、「死神」の能力なら、雪村先生を守りつつ、あの研究所から脱出することも可能だっただろう。
雪村先生を殺したのは、柳沢がつくった触手地雷だったけれど、殺せんせーが自分が雪村先生を殺した、と断言しているのは、雪村先生の死の一因は自分にある、とかいう意味ではなく、本当にそう考えているからなんだろう。
力に溺れ、自分を見てくれていた大切な人が見えていなかった自分を、彼は生涯、許さないんだろうなあ。
「死神」である彼にとって、「敵」と「障害」しか見えないということは、そんなに困ることじゃない。
人間の集中力には限界があるから、不要なものを排除し「必要」なものだけにリソースを絞り素早い対応を可能にする、というのは高度なスキルと言ってもいいんじゃないかと思う。
しかし、「死神」のスキルが最高潮に達した時、もっとも必要な存在が、不要なものとして切り捨てられた。
人類最高の「死神」のスキルは、雪村先生を必要としなかった。
彼を人間として見てくれた、たったひとりの人だったのに……。
人間としての彼は、雪村先生だけを必要としていたのに……。