『暗殺教室』第125話 完璧の時間 感想、もしくは、完璧な世界の完璧超人

今回のセンターカラーは茅野ちゃんのソロですよ!(←横にある丸い物体を無視すれば)
アニメのOPのジャケ絵もセンターだし、最近、茅野ちゃんがプッシュされてる?


イトナくん役は緒方恵美さんに決定。
ものすごく納得なキャスティング。球磨川を幼くした感じの声かな? と予想。
ていうか、もともと、豪華なE組キャスト陣をこれ以上、ゴージャスにしてどうするっ。
律ちゃん役も藤田咲さんと発表されたし、これでE組のキャストは勢ぞろいだね。


本編は理事長先生一色。
いや、このさわやかイケメンが理事長先生って、ものすごい違和感なんですけど。

E組の校舎がぼろぼろなのは、もともと、廃校だったのを借り受けたものだったからか。
わざわざボロ校舎を建てるのも不思議な感じだな、と思ってたんだけど。

それは、理事長先生にとっては「始まりの場所」。
3人の生徒と1人の先生から始まった場所。
そして、その場所はやはりこの「世界」の中心なんだ。理事長先生にとっても。

「必要だから完璧になったに過ぎないんだ」と言っても、「完璧」になれる人なんてそうそういるわけがない。
だけど、理事長先生にはそれができた。
多分、この人には願ってできないことなんかなくて、それは彼にとって普通にあたりまえのことで、当然、他の人はそうではないと知っていたんだろうけど、実際にはそれがわかっていなかった。
「強い」と「弱い」が何を生み出すかについて、わかっていなかった。

理事長先生は強かったからこそ、美しい理想を描き、その理想をあっさりと実現させた。
強いからこそ、誰かを蹴落とさなくても、願いを叶えられる。勝ち続けられる。
もちろん、彼にはみえないところで敗者はうまれていたんだろうけど、それは理事長先生の「世界」には存在しないことになっていた。

とても美しくて完璧な世界で生きていたんだな、この人は。

でも、そんな世界はいともたやすく壊される。
「生徒」は必ず「先生」の元から卒業してしまう。自分が守ってあげられる場所に留まってはくれない。
理事長先生が慈しみ、大事に育てた生徒を、誰もが大事にしてくれるわけではない。


「強い生徒」を望んだのに、わざわざ「弱い生徒」を仕立てあげるのは、ものすごい矛盾のような気がする。
もし、E組の境遇を悲観して自殺する生徒が出たら、それは理事長先生が殺したことにならないだろうか?
あの、ギャンブル中毒にされた連中と同じレベルの人間だということにならないだろうか?


だいたい、どれほど強くなれば、悲しみや苦しみにぶつからずに生きていけるんだろう。
理事長先生だって、それを回避することができなかったのに。


理事長先生と殺せんせーは多分、似ているんだろう。
自分の弱さゆえに大事なものを失い、それをリカバリーすることに必死で、そのために非凡な能力のすべてを注いでいる。

そして、理事長先生は「強者」を育てることにこだわり、殺せんせーは「強さ」も「弱さ」も呑み込める生徒を育てようとしているんじゃないかな、と思う。


理事長先生は最初の3人の生徒が、本当に大事だったんだろうなあ。
生徒を失った怒りをこんなにも長く維持できるほどに。
「犯人」を目の届く場所に放置して、ながめ続けることを望むほどに。

でも、他人を蹴落とせるほど強くなった生徒たちが蹴落とした人も、また誰かの生徒なんだ。
理事長先生のやり方は、自分のような存在を再生産しているだけなんじゃないかな。


ところで思ったんだけど、誰かを薬物中毒にしたら犯罪だけど、ギャンブル中毒にするのは犯罪にはならないんだね。