『幽遊白書』 「それぞれの一年 飛影 後編」 感想・その2
先週の幽遊のあまりの展開と、文章を読んでいればイヤでもわかる、私の飛影ちゃんへの溺愛ぶりのおかげで、たくさんの方々から「ひでみさん、生きてますか? 大丈夫ですか? 気を落とさないでくださいね」という暖かい激励のお言葉をいただきました。
そこで、あれから1週間近く経った現在の、私の考えを書いてみることにいたしました。
またまた幽助×飛影がらみなおはなしになってしまうので、それがお気に召さないという方は、ここから先は読まないでくださいませ。
いろいろな方々から、直接的、間接的に様々なご意見をうかがいまして、私なりにいろいろなことを考えまして、1週間の間にかなり考えが変わってまいりました。
基本的に変わらないのは、飛影ちゃんは厳しい世界を生きるには、精神的にひ弱すぎる! という私のかなり以前からの考えです。
飛影ちゃんはどうも、私が持っている“生きてりゃそのうちいいことがあるさ”という、実にいいかげんな人生哲学(というほど大げさなものでもないですが)を持ち合わせていないようです。
飛影ちゃんは常に“現在”だけをみつめて生きてきました。飛影ちゃんの頭の中に“未来”は存在しなかったのです。
飛影ちゃんは子供だから、“目的”と“目標”の違いを知らないようです。
人(妖怪)は“目的”だけでは生きていけないと私は思います。
生きていくには“目標”が必要なのです。
“もっと幸せになってやる!”でも“もっと強くなってやる!”でもなんでもいいから、とにかく絶対にたどりつくことのない“もっと”がないと、生きていくのはなかなか大変です。
そして、幽助がそばにいた時の飛影ちゃんは、“目的”を一時、たなあげ状態にして“目標”のために生きていたと私は思っています。
“目的”は達成されればそれで終わりだけれど、“目標”は常に辿りついたその先に存在します。
飛影ちゃんは幽助を“目標”にしていました。
追いかけても追いかけても、常に幽助は飛影ちゃんの一歩先に存在していました。
たまに幽助が後ろにたつようなことになると、飛影ちゃんはその背中を押してでも自分の前に立たせました(『頭を冷やせ!!』のことね)。
飛影ちゃんは無意識のうちででも、幽助がいれば“目的”なしでも生きていけることを知っていたのです。
そして飛影ちゃんは、幽助が目の前から姿を消した途端に、“目標”を見失ってしまいました。
飛影ちゃんは目に見えないものを信じきることができるほど、強くはないのです。
ならば案外、幽助が目の前に現れれば、すぐに“目標”が復活し、またあの力にあふれた飛影ちゃんに戻ってくれるんじゃないかと、かなり楽観的な気分に私はなっています。
飛影ちゃんはまだ子供です。
氷泪石=母親の残留思念にすがって生きている親離れすらすんでいない子供です。
そして、その氷泪石も飛影ちゃんに“生きる”ことを教えてはくれませんでした。
氷泪石には氷菜さんの“愛情”がつまっているけれど、それは決して氷菜さんのかわりに飛影ちゃんをひざにのせて、“生きることの楽しさ”を語ってはくれないのです。
だから私は飛影ちゃんにむかって、もう死んでしまった母親なんかにすがるんじゃない! どうせなら幽助にすがりつけ! と叫ぶのです。
私は幽助という存在の“強さ”を信じています。
飛影ちゃんはきっと幽助が救ってくれます。
飛影ちゃんに与えられるべきだった、「貴方に生きていて欲しい。貴方に幸せになって欲しい」という氷菜さんの言葉を、幽助はかわりに伝えてくれると思います(実際に言葉にするかどうかはわかりませんが)。
私の愛はいつでも一方通行で、飛影ちゃんに私の「生きていて欲しい。死なないで欲しい。幸せになって欲しい」という想いは、決して飛影ちゃんに伝わりません。
それはとてもつらくて哀しくてはがゆいことだけれど……私はその想いを幽助に托すことにしたのです。
極論を言えば、飛影ちゃんにその言葉を与えてくれるのなら、それが誰であってもかまいません。
いっそのこと躯でもかまわないのです。
躯は飛影ちゃんにとって本当に必要なものを与えてはくれないだろう、という考えはいまだ変わりませんが、それでも、躯は幽助が与えることのできない何かを、飛影ちゃんに与えてくれるような気がします。
そして躯は現在、どんなかたちであろうとも飛影ちゃんを生かしてくれています。
今は“目的”だけでもよいのです。
飛影ちゃんがそれで生きていけるのなら、私は今は飛影ちゃんを躯に托します(……って、自分勝手なことを……)。
躯は躯なりに飛影ちゃんを愛してくれると思います。
そして私は飛影ちゃんを愛して、大事にしてくれる人は無条件で好きになってしまいます。
だから私は……躯が好きかもしれません。
私は見守ることしかできないから……せめて、ひたすらに見守り続けているのです。
幽助の強さが飛影ちゃんを救ってくれる瞬間を、飛影ちゃんが本来の生命力を取り戻す瞬間を、ひたすらに待ち続けているのです。
いつか、飛影ちゃんは氷泪石なしでも生きていけるようになります。氷泪石を手に入れたぐらいで満足して死んでいくなんて馬鹿馬鹿しい、と言ってくれると思います。
そして、「生きたい」と「幸せになりたい」と心の底から願った時にこそ、雪菜ちゃんに自分の正体を告げるんじゃないかと思います。
そんなわけで私は、幽助と躯を信じる、という手段でもって立ち直りました。
この祈りにも似た確信が崩れ去った時、私はそれこそ、「幽遊はもう読まない!」と言って倒れこんでしまうでしょうが、とにかく私は信じ込むことにしたのです。
飛影ちゃんだって生きたいのです。
飛影ちゃんだって幸せになりたいのです。
だから……いつか飛影ちゃんは幸せになると……私は信じています。
だから……幽助……飛影ちゃんを救ってくれなかったら、ファンを絶対にやめるぞ!
そこで、あれから1週間近く経った現在の、私の考えを書いてみることにいたしました。
またまた幽助×飛影がらみなおはなしになってしまうので、それがお気に召さないという方は、ここから先は読まないでくださいませ。
いろいろな方々から、直接的、間接的に様々なご意見をうかがいまして、私なりにいろいろなことを考えまして、1週間の間にかなり考えが変わってまいりました。
基本的に変わらないのは、飛影ちゃんは厳しい世界を生きるには、精神的にひ弱すぎる! という私のかなり以前からの考えです。
飛影ちゃんはどうも、私が持っている“生きてりゃそのうちいいことがあるさ”という、実にいいかげんな人生哲学(というほど大げさなものでもないですが)を持ち合わせていないようです。
飛影ちゃんは常に“現在”だけをみつめて生きてきました。飛影ちゃんの頭の中に“未来”は存在しなかったのです。
飛影ちゃんは子供だから、“目的”と“目標”の違いを知らないようです。
人(妖怪)は“目的”だけでは生きていけないと私は思います。
生きていくには“目標”が必要なのです。
“もっと幸せになってやる!”でも“もっと強くなってやる!”でもなんでもいいから、とにかく絶対にたどりつくことのない“もっと”がないと、生きていくのはなかなか大変です。
そして、幽助がそばにいた時の飛影ちゃんは、“目的”を一時、たなあげ状態にして“目標”のために生きていたと私は思っています。
“目的”は達成されればそれで終わりだけれど、“目標”は常に辿りついたその先に存在します。
飛影ちゃんは幽助を“目標”にしていました。
追いかけても追いかけても、常に幽助は飛影ちゃんの一歩先に存在していました。
たまに幽助が後ろにたつようなことになると、飛影ちゃんはその背中を押してでも自分の前に立たせました(『頭を冷やせ!!』のことね)。
飛影ちゃんは無意識のうちででも、幽助がいれば“目的”なしでも生きていけることを知っていたのです。
そして飛影ちゃんは、幽助が目の前から姿を消した途端に、“目標”を見失ってしまいました。
飛影ちゃんは目に見えないものを信じきることができるほど、強くはないのです。
ならば案外、幽助が目の前に現れれば、すぐに“目標”が復活し、またあの力にあふれた飛影ちゃんに戻ってくれるんじゃないかと、かなり楽観的な気分に私はなっています。
飛影ちゃんはまだ子供です。
氷泪石=母親の残留思念にすがって生きている親離れすらすんでいない子供です。
そして、その氷泪石も飛影ちゃんに“生きる”ことを教えてはくれませんでした。
氷泪石には氷菜さんの“愛情”がつまっているけれど、それは決して氷菜さんのかわりに飛影ちゃんをひざにのせて、“生きることの楽しさ”を語ってはくれないのです。
だから私は飛影ちゃんにむかって、もう死んでしまった母親なんかにすがるんじゃない! どうせなら幽助にすがりつけ! と叫ぶのです。
私は幽助という存在の“強さ”を信じています。
飛影ちゃんはきっと幽助が救ってくれます。
飛影ちゃんに与えられるべきだった、「貴方に生きていて欲しい。貴方に幸せになって欲しい」という氷菜さんの言葉を、幽助はかわりに伝えてくれると思います(実際に言葉にするかどうかはわかりませんが)。
私の愛はいつでも一方通行で、飛影ちゃんに私の「生きていて欲しい。死なないで欲しい。幸せになって欲しい」という想いは、決して飛影ちゃんに伝わりません。
それはとてもつらくて哀しくてはがゆいことだけれど……私はその想いを幽助に托すことにしたのです。
極論を言えば、飛影ちゃんにその言葉を与えてくれるのなら、それが誰であってもかまいません。
いっそのこと躯でもかまわないのです。
躯は飛影ちゃんにとって本当に必要なものを与えてはくれないだろう、という考えはいまだ変わりませんが、それでも、躯は幽助が与えることのできない何かを、飛影ちゃんに与えてくれるような気がします。
そして躯は現在、どんなかたちであろうとも飛影ちゃんを生かしてくれています。
今は“目的”だけでもよいのです。
飛影ちゃんがそれで生きていけるのなら、私は今は飛影ちゃんを躯に托します(……って、自分勝手なことを……)。
躯は躯なりに飛影ちゃんを愛してくれると思います。
そして私は飛影ちゃんを愛して、大事にしてくれる人は無条件で好きになってしまいます。
だから私は……躯が好きかもしれません。
私は見守ることしかできないから……せめて、ひたすらに見守り続けているのです。
幽助の強さが飛影ちゃんを救ってくれる瞬間を、飛影ちゃんが本来の生命力を取り戻す瞬間を、ひたすらに待ち続けているのです。
いつか、飛影ちゃんは氷泪石なしでも生きていけるようになります。氷泪石を手に入れたぐらいで満足して死んでいくなんて馬鹿馬鹿しい、と言ってくれると思います。
そして、「生きたい」と「幸せになりたい」と心の底から願った時にこそ、雪菜ちゃんに自分の正体を告げるんじゃないかと思います。
そんなわけで私は、幽助と躯を信じる、という手段でもって立ち直りました。
この祈りにも似た確信が崩れ去った時、私はそれこそ、「幽遊はもう読まない!」と言って倒れこんでしまうでしょうが、とにかく私は信じ込むことにしたのです。
飛影ちゃんだって生きたいのです。
飛影ちゃんだって幸せになりたいのです。
だから……いつか飛影ちゃんは幸せになると……私は信じています。
だから……幽助……飛影ちゃんを救ってくれなかったら、ファンを絶対にやめるぞ!