『呪術廻戦』(第113話 渋谷事変・31) 感想(「禪院」という呪い 「伏黒」という祝い)

伏黒パパに勝つイメージをつくろうとするけどつくりきれない伏黒。
まあ、そうだろうなあ。
今の伏黒と同じ年の五条先生があれだけ手こずった相手だからね。


家入先生、すでに渋谷入りしてたのか。
持ってる術式がレアすぎて、五条先生とは別枠で替えがきかない存在だから、戦わせる気はないとはいえ、こんな最前線まで連れてくるのも、かなりな決断なんじゃないかな。
てか、夜蛾学長の呪骸たちキモかわいいな。

伊地知さんと猪野さんの無事が確認できてホッとしている。


伏黒は初手から負ける前提で動く、か。
「無理を利かすなら自分自身」とか、呪術師、本当にいろいろとイカれている。
家入先生に治してもらえるとはいえ、自分の痛みを無視してるんだもんなあ。

そして、シリアスな戦闘シーンのはずなのに、兎さんがあふれている、という絵が微妙におかしい。


伏黒は10億で禪院に売られるとこだったか。
あれ、単位、億だよね、多分。
特級呪具が億越えの世界で、それを使いこなす側の術師がそれくらいの値段でもおかしくはない。
五条先生のせいでパワーバランス崩れてる御三家の一角・禪院家にしてみたら、相伝の術式を持つ子供はそれだけの値打ちがあるだろう。
跡取り娘たちにはその素質がないことは、この時点ですでに判明してそうだし。


伏黒的には、クソ親父に禪院家に売られかけた、って解釈だし、そうとしか思えなくて当然だけど、伏黒パパ的には、息子を保護してもらう意図があったんだな。
呪力をまったくもたず、禪院家の中でゴミみたいな扱い受けたけど、相伝の術式を持つ子供を無碍に扱うことはないだろう、と。

どうでもいい、と思いつつ、妻の「お願いね」という言葉を捨ておくことができなかった伏黒パパ。
コミックス情報を見る限り、伏黒パパはかなり本気で伏黒ママさんを好きだったぽいし。


名前をきかれて、伏黒は苗字だけを答えた。
それだけで、伏黒パパには十分だった。

「禪院じゃねぇのか」「よかったな」

伏黒にしてみれば、自分を圧倒していた相手が、名前きいて、「よかったな」って言って、自分の頭を貫いて死んだ、とかわけわかんないだろ。
自分の父親だってこともわかってないし。

伏黒、五条先生とはじめて会った時に、父親の顔も覚えてない、って言ってたもんなあ。
あれだけ顔が似てれば気づきそうな気もするけど、当主と知り合いということは、禪院家の者かもしれない、と察しはつくだろうし、親戚なら顔が似ててもおかしくないし。

「どうでもいい」って思いながら生きて、伏黒パパは二度死んで、二度とも最後に考えていたのは息子のことだった。
それが、伏黒に伝わることはない。
でも、伏黒パパにしてみれば、息子がどう思おうと「どうでもいい」んだろうな、って思う。

伏黒パパは息子を禪院家に守らせようとしたけど、一度目の死の間際に、その決断を五条先生に預けなおした。
そして、五条先生は、まだ幼い伏黒自身にその決断を委ねた。
伏黒が今、「伏黒恵」なのは伏黒の決断だ。
五条先生がついていなければ、実現するはずのない決断だったけど。

それでも、伏黒が選ぶことができたのは、伏黒パパが今わの際に、禪院家に売られないルートを求めたからだ。
「幾分まし」なルート以上のものを求めたからだ。
そう考えると、「伏黒恵」という名は、伏黒パパが唯一、息子に残してやれたものなのかもしれない。


伏黒は適当に名前つけやがって、と思ってるけど、実際、伏黒パパにとっては息子の名前はどうでもよかったんだな。
彼にとって重要なのは苗字の方だったんだ。
禪院という「家」の中でさげすまれて育ち、愛する女性と結ばれることでそこから逃れた彼にとって、「禪院」は呪いそのものなのかもしれない。
そして、伏黒は、禪院家と関わりを絶つことまではできていないけれど、その呪いに縛られずに生きている。
それこそが、彼にとって祝うべきことで、だから「よかったな」なんじゃないかな、って思った。


伏黒パパは二度も死んだ。
自分の生に頓着しない男は、なんでもないことのように自分の頭を貫いた。
息子に何一つ理解されないままで。

息子に理解されることを、彼は望まないだろう。
息子はこれからも、父親に愛情のかけらも抱かず生きるんだろう。
息子が「クソ親父」と言ってくれることこそ、彼の本望なのかな、って気がした。


それにしてもまあ、迷惑な人だよね。
ひっかきまわすだけひっかきまわして、勝手に退場してしまう。
五条先生とか、このこと知ったら大爆笑しそう。