『逃げ上手の若君』(第113話 インターミッション1336・3) 感想

足利の大船団を浜で待ち受ける楠木と新田。
錦の御旗を掲げるも、相手も同じ手を使ってきた。
後醍醐天皇側が「天照皇太神」だけなのに対し、足利方はそれにプラスして「八万大菩薩」なのか。
神様を掲げたら神様仏様を掲げられた、みたいな。

比喩表現ではない「錦の御旗」がふたつのルートで存在するというのはややこしいよね。
松井せんせーも「超絶面倒な時代」って書いちゃってるし。

皇族がすでに分裂してるのに、武士がどちらが正当であるかなんて決めようがない。
なので、自分が利用しやすい方が正当、となるのは当然のような気がする。


新田が見え見えの分断策に乗っかる事を前提にした作戦。
陽動、身代わり、撒き菱、肉弾戦、ありとあらゆる手を尽くす楠木正成の戦い方。
尊氏を倒すためならなんだってやる、という姿勢が清々しい。
残酷で執念深くみえることもあるけれど、これをやらなければ自分の大事なものが失われる、と考えられるのならば、道徳的にどうなの、ってことも迷いなく、でも心の中で手を合わせながら、実行できる人と感じる。

時行の師として、これほどふさわしい人はいない。

これ、自分の軍が全滅に近いとこまで追い込まれる前提だよね。
そして、自分自身も生きて帰ることはない、と。
百倍の敵を倒さなければいけないんだから、そうなるんだろうけど。


尊氏は直義を心配しまくってるあたりはかわいらしかったんだけどなあ。
「目を潰し 腕を貫き 足を壊し 首を折った」でなんで動けるのよ。
しかも立ち上がり方がゾンビっぽい。

骨喰が砂の中からでてきた!
えっ? 最初っから埋めてあったの?
それと、骨喰ってこんな禍々しいデザインなの?

薙刀としてはどんな形状だったのかの資料が残ってないっぽいので、ここらへん好きにデザインしてもかまわないってことなのかな。


尊氏が人知を超えた何かに動かされているのに対し、楠木はどこまでも人間だ。
全力を振り絞り、命を捨てて、大事なものを守ろうとしている。
でも人間だからどうあがこうとも勝てない。

足利尊氏が普通の人間であれば、楠木正成は勝利していたかもしれない、という描き方になってるが、これは楠木に対する松井せんせーなりの餞のようにも思える。