『逃げ上手の若君』(第95話 楽しさ1335) 感想

戦ってくれてる皆を励ますために、戦場を駆け回る時行と逃若党。そして三浦たち鎌倉党。
そこに忠義はなくても、命を懸けて戦ってくれてることに違いはないから感謝する、というのは当たり前に思えるけれど、北条家の人々にはそれができなかったから、味方を失ったのかもしれないね。


一方、三浦・兄を寝返らせるために敵の陣中に飛び込んだ叔父上。
「哀れ(君が)」っておでこに書いてある本心を、普通にみんな読めてるって設定、かなり無理があるんだけど、史実物というジャンルでそれを当たり前に押し通しちゃう松井せんせーすごいな。
さすがに、三浦・兄が「泰家が顔に出る時は嘘は無い」とか考えた時は、おいおい、ってなったけど。

あと、透き通ったまなざしの叔父上がめっちゃ笑える。


乱世にあって、仕方ないことと考えていても、やっぱり誰かを傷つけたり裏切ったりするのはやましいのかな。
ていうか、そういう気持ちを易々とふっきっちゃったのが尊氏なのかも。

子供なんだから感情で動いたっていいだろ、という話が出たあとで、自分もやっぱり感情で動きたい、と大人が揺さぶられる、というのはおもしろいな、と思った。


時行の下で戦うのは「楽しい」か。
確かにみんな楽しそうだよね。
「全裸逃亡ド変態稚児」だけど!
「すっかりネタ枠として認知されておる」って、本当にそれでいいのかよ、ってなるけど!


直義は理性的に三浦・兄を動かそうとしたけれど、苦痛、恐怖、悲惨に埋め尽くされている戦場では、皆、理性だけではやってられない。
だから、そこからちょっとでも逃れさせてくれる時行に惹かれるのかもしれない。


頼重が直義を「戦下手」と評したのは、人間てのは感情で動きたい存在だ、ということを理解できていない、ということだったのかもしれない。
そして、叔父上はそこのところをよく理解している、と。


ところで英雄に新田も入れてもらえたのね。
まあ、普通に英雄と呼ばれてる方だけど、このマンガだと「?」をとばしてる印象しかないので……。