『逃げ上手の若君』(第22話 御仏1334) 感想

吹雪VS腐乱戦は、吹雪が押されているようにみえるけど、実際はかなり余裕ありそうだな。

繊細でテクニカルな剣術を使う腐乱。
だけど、それはまだ中途半端だと吹雪は看破する。
実力だしすぎると使いつぶされるから、そこそこいいポジションにつきつつ、ちょっとバカにされる程度がちょうどいいんだよ、という腐乱の考えはわからんでもないが、ずっと手を抜いてるとそれが本当のレベルになっちゃうよ、ということになる。

吹雪は時行の軍師ポジになるのかな、って思ってたんだけど、違うのかもな~、って気がしてきたよ。
時行を高く評価するけど配下にはおさまらず、時に味方となり、時に敵となり、みたいなポジションの方が似合いそうな感じだ。

腐乱は大物キャラにみせかけた雑魚キャラで、その師匠筋にあたる人が大物、ということかな。


「ああ、貴方はもう結構です」であっさり腐乱を始末した吹雪がかっこいいけどこわい。
集落の子供たちをかわいがったり、時行のやさしさを微笑ましく想ってたりと、人としての情は持ち合わせているんだけど、それはそれとしてめっちゃ深い闇を抱えてそう。

「隠れた宝石を探し当てた時、冷めた体が少しだけ温かくなる」
本人、あたたかいものを求めてさまよってるかもしれんな。
もしかしたら「吹雪」という名は偽名で、いつも冷めている自分を自虐してそう名乗ってるのかも。


一方、時行VS瘴奸の方も、ほぼ決着がついてた。
瘴奸は出血多量でヨロヨロ状態で、自分の敗北と死を悟っている。

瘴奸は長男でなかったがゆえに領地をもらえず、道を踏み外したか……。
まあ、息子全員に土地を分けていったら、どんどん小さくなっていくのは当然だよなあ。
だから、長男だけに継がせるけど、現代よりもずっと簡単に人が死ぬのでスペアは必要だから「兄と同居し兄を補佐せよ」となる。
そして、たとえ補佐役にあまんじたとしても、兄に息子が生まれて無事に育ったら、その補佐役さえお役御免になる可能性があるというのがな……。

これ、先祖代々そうやってて、子供の頃からそうなるもんだと思ってれば、これほど絶望しなかったのかもしれない。
自分の代から突然ルールが変わるのは悲惨だよ。
めっちゃ強いし、戦場で的確に指示も出せるしで、かなりまじめに武芸と兵法を鍛えてきた人なんだろうな、と思えるからなおさら。

まあ、自分の人生が悲惨だからといって、なんの関係もない子供たちを自分と同じ道に引きずり込んで憂さ晴らししてた時点で同情はできんけど。


楠木殿ってのはあれですか? 足利尊氏、後醍醐天皇と並ぶこの時代のスター(?)楠木正成ですか?
今回、顔は出てこなかったけど、これから必ず出番があるはず!


ところで時行が水滴はじける中できゃっきゃうふふしてる絵がめっちゃかわええんですけど、これ血飛沫ですよね。
なんか水辺で無邪気に水遊びしてるみたいな風情があるけど。
そしてやっぱり時行の服は全然、汚れていないという……。
本当に血飛沫を全部よけたのか……。


「この乱世でこんなに無垢に笑える奴は…人じゃない」
「こんな俺にも笑ってくれるのか、仏…様…」
瘴奸は出血多量で意識朦朧としててこんな幻覚をみたのかもしれないし、瘴奸の心の底にあった「救われたい」という願いが今わの際にこんな救いをみせたのかもしれない。

この男のせいで、地獄の底を這いずり回るような思いで生きることになった子供たちがいたことを考えると、仏様に救われた、と満足して死んでいくのは、ちょっと微妙な気分になる。
でも、「仏様はね、いないんだよ!」と言っていた人の心の底には、仏様を求める気持ちがあったわけで、最期は自身の信心によって救われた、と考えればこれも良いんじゃないかな、という気もする。

こういう白黒つかないというか、微妙にもやもやする描写が、松井せんせーらしいな、って思う。


ところで、瘴奸視点では極楽っぽかった世界が、ページをめくって現実に戻ってみれば、ただの血まみれの小屋の中で、かわいい男の子がハアハアしてるのを拝む形で息絶える男、というのはなかなか業が深いよね!(←言い方ァ!)

まさしく「終わる頃には地獄絵図」……。

吹雪に教えてもらった「鬼心仏刀」は、かなり限定的なシチュエーションでしか使えないと思うんだけど、どれだけ状況を整えても、時行にしか使えそうにない技で、ある意味、少年マンガの主人公の必殺技にふさわしい。


最後のコマで、せっかく無傷でしかも返り血すら浴びずに戦いを終えた時行が、亜也子に抱きしめられて吐血してて笑った。
亜也子ちゃん、もうちょっと加減してあげて!

そしてよくみると、おにぎり食べてる吹雪はなんなの?
常に食べてないと死んじゃうの?


それにしても前々回のサブタイトルが「仏1334」で今回が「御仏1334」とは、松井せんせーらしい重ね方ですね。