『逃げ上手の若君』(第25話 神力1334) 感想

今回は尊氏と直義の足利兄弟がメイン。
尊氏がめっちゃにこにこしてて、ちょっとかわいい。

子供時代の兄弟はめっちゃかわいいな。
暗号つくって得意げな直義が特にかわいい。
その暗号に見向きもしないで隠し場所を当ててしまった尊氏は確かにひどいけど、この年になってもまだ根に持ってるのね。
まあ、がんばってつくった暗号を解かれてしまって悔しい、ならここまでひきずることもなかったんだろうが。

自分の努力を完全に無視されて、どうしてそんなことするの、ってなってるけど、兄上が無邪気すぎて怒るに怒れない、みたいな。
で、その関係が大人になっても続いてるのね。

兄は弟の努力を無碍にするつもりなんて毛頭なく、おれの弟はすごいんだ、と自慢に思ってるけど、根本的なところで弟の苦労をまるでわかっていないという。


尊氏が板壁に描いた御仏の絵。
それを理由をくっつけてひきとった直義。
「御仏だけ保存」と言ったのは、さすがに御仏を焼くのはダメだろうと思ったのか、尊氏に絵はどうしたときかれた時のために手元に置いておく必要があるからなのか。

御仏を喰おうとしているあれはなんなんだろうね。
鬼? 虎?
てか、御仏の画風と、それを喰らおうとしているものの画風がだいぶ違うんだが……。
これは、御仏を描いている人格と、御仏を餌と認識している人格が別々に存在する、とかいうあれなんだろうか。

尊氏の信者がこの絵をみて何を考えることを直義はおそれているんだろうね。
御仏をないがしろにしている、と離反されることを考えているのか、尊氏の信者たちの信仰心がさらに強化されて暴走することをおそれているのか。
単純に、今の尊氏をとりまく状況がいい感じになっているので、それを変に動かしたくないだけなのかも。


一方、時行は頼重をお話中。
「雫の事は雫の事。いずれ彼女から話す時もあるでしょう」と言ってるけど、雫ちゃんになんか秘密があるのかな。

「神力とは人の目が届かない所に存在できる力」か。
ひそむものに力が宿る、というのはなんとなくわかる。
なんというか、ひそんでいる=みえないorわからない部分を、人間はなにかしらで埋めようとするのかな、って感じる。
それを「神」という存在で埋めている場合、「人の力が増える分だけ神の力は消える」ということになるのかなあ、と。


それにしても、パーカー着てる現代・時行がめっちゃいいな。
なんか妙に色気がある。
確かに、時行の逃げ力をもってしても、監視カメラやスマホがある現代では、それはほぼ役立たずだね。


時行にとって「逃げる」ことは「遊ぶ」こと。
つまり「遊び上手の若君」ってこと?
なんかそう書くと途端に放蕩息子感が出るな。

とりあえず、時行が頼重にふりまわされつつも楽しそうでよかった。