『暗殺教室』第134話 過去の時間 感想、もしくは、死神の失敗

手足が二本ずつだった頃の殺せんせーがめっちゃイケメンだった。
なんとゆーか、かわいい系?

そして、死神(仮)は、実は死神(弟子)だったようだ。
笑顔の雰囲気がちょっと死神(本物)に似てるのは、そういう風に育てられたからか。

今になって考えてみると、死神編で殺せんせーが烏間先生にすべてを託す余裕があったのは、弟子の能力を知り尽くしていて、烏間先生なら確実に勝てる、という算段があったからなのかも。


「利益と畏怖をぞんぶんに与えてる」というだけで、弟子が決して裏切らないと考えたのは、「死神」が明らかにあまいわけで、これだけなんでもできる人でも、自分の想像が及ばないところまでは考えられないってだけのことなんだろうな。

多分、弟子にとって、「死神」の名声とスキルを自分だけのものにできる、というのは、どんな利益もかなわない大きな魅力だったんだろう。
畏怖が大きければ大きいほど、「ああいう存在になりたい」という気持ちは強くなるんだろうな、と想像できるわけで、畏怖を与えるほど憧れは強くなり、彼を裏切りへと動かしたんじゃないかな。

「力に憧れる男」と弟子を評しながら、その「力」の象徴ともいえる自分を追い落とすわけがない、と考えてしまったのは、「死神」の価値観がえらく狭い世界で育ったものだからなのかもね。


この作品において、殺せんせーと敵対関係になった先生は、理事長先生と鷹岡の二人なんだが、今になって考えてみると、このふたりは思想的に「死神」に近い存在だ。
鷹岡は「死神」と同じく畏怖で生徒をしばりあげコントロールしようとし、理事長先生は殺せんせーと同じく、みずからの失敗を埋め合わせることに、自分のすべてをそそいでいる。
そう考えると、鷹岡の存在が意味深に思えてくる。


弟子の裏切りにあい「教える側として私に何が足りなかったのか?」と悩んでる「死神」が、死神編で「影響を与えた者が愚かだったのです」と生徒たちの前で言っている。
「自分の教育は完璧だったのに」から「自分がダメだった」という変化。
その最初のきっかけを与えたのが雪村先生だったんだろうね。


柳沢は雪村先生の彼氏説が浮上していたんだが、今回の柳沢のモルモット発言からして、そういう雰囲気じゃないな。
すると、本当に兄妹な可能性もある???

いや、それにしても、雪村先生、めっちゃかわいいなあ。

ところで、雪村先生のダサいシャツは、落ち込みがちなE組の生徒たちをちょっとでも明るくさせるためのアイテムかと思ってたんだけど、どうやら単純にセンスが独特な人のようだ。
初回の雪村先生の「なんて素敵な触手……」が、彼女の美的センスから出た言葉だったら、ちょっとイヤかも。


そういえば、巨乳好きとか、すぐテンパるとかいう殺せんせーの特徴(?)が、この「死神」からはまったく感じられないのだが、そこらへんは生徒たちに親しみをもってもらうためのキャラ付けだったりするのか?