『暗殺教室』第165話 正論の時間、もしくは、E組が世界にさらされた日
ずっと、このおはなしの中では「世界」=E組だった。
生徒たちにとってE組は世界の中心にしてすべてだった。
初回から、地球が爆発する、という全世界規模な話は出ていたが、それでも、E組の生徒たちにとっては「世界」=E組だったんだと思う。
E組は完璧なる「内側」。
E組の生徒たちは、E組の「外側」には行かない。
「外側」から「内側」に来て去っていく人はいても、「内側」から「外側」に出て行く人はいない。竹林くんが戻ってきてしまったように。
つまり、E組の生徒たちにとって「内側」=「世界」。「外側」は無視してもいい存在だった。
たまに「外側」がちょっかいだしてくるけど、殺せんせーと生徒たちは「内側」を無傷で守り続けた。
そんな調子で、卒業式の日まで、E組の子供たちは「内側」で幸せな日々を過ごせる……はずだった。
でも、前回から、E組だけで「世界」は完結しなくなってしまった。
E組の生徒たちはどれだけ強くなっても、中学生の枠内でしか強くなれない。
殺せんせーという強大な力を失えば、自分たちはただの中学生でしかないと思い知らされるばかりだ。
「1%という数字はね、地球を賭けのチップにするには…あまりに高すぎるんだ」
このセリフはあまりにも正論だ。
「明日、あなたが死ぬ確率は1%です。ちなみに原因はこれです」と言われたら、全力でその原因を排除しようとするのが普通だろう。
でも、E組の生徒たちは「正論」を納得しない。
「外側」の「正論」を受け入れない。
思うに、E組の生徒たちはすでに「世界」の終わりを経験しているのだ。
E組落ちした日に、姉を亡くした日に、家族が離散した日に。
そして、殺せんせーの元で、「世界」は劇的に修復された。
E組の生徒たちにとって、「世界」とは殺せんせーにつくりかえてもらったものだ。
だから、E組の生徒たちの「世界」に、殺せんせーは存在していなければならないピースだ。
でも、「外側」の人たちにとって、殺せんせーはこの「世界」から全力をもって排除すべきピース。
排除すべき理由は「正論」すぎて、反論のしようがない。
結局のところ、E組の生徒たちは「外側」がないと生きていけない。
そこには、家族がいて、夢見ている未来がある。
「外側」がないと、先生になれないし、高級官僚になれないからね。
切り捨てて生きていけるだなんて、誰も思っていないだろう。
生徒たちはE組から卒業することで、「外側」へ飛び出すことを決めていた。
「内側」をそれぞれの心のうちに大事にしまいこんで、大人になろうと決めていた。
だけど、「外側」は卒業式の日よりも先に「内側」に攻め込んできた。
「内側」と「外側」が両立できなくなった。
圧倒的な「力」と「正論」に押しつぶされそうな生徒たち。
生徒たちに「正論」はない。
でも「理由」はあるんだ。
だって、殺せんせーに見守られながらE組を巣立つことが、殺せんせーと生徒たちの最後で最大の約束だったのに、それを阻まれようとしているんだから。
それにしても、予想はできてたけど、むずかしい展開になってきたよなあ。
もう、殺せんせーの存在は公になってしまった。
話をE組の中だけでおさめることは不可能になってしまった。
生徒たちは、あくまでも「内側」を守ろうとするのか、ちょっとはやいけど「外側」に飛び出していくのか、「内側」と「外側」が両立できるルートを模索するのか……。
ところで、「大衆はね、いったん恐怖に火が点いたらもう理屈は通用しない」のセリフのコマの背後に、あのマークを描いたあたり、あいかわらず松井せんせーは攻めてるなあ、と思った。
生徒たちにとってE組は世界の中心にしてすべてだった。
初回から、地球が爆発する、という全世界規模な話は出ていたが、それでも、E組の生徒たちにとっては「世界」=E組だったんだと思う。
E組は完璧なる「内側」。
E組の生徒たちは、E組の「外側」には行かない。
「外側」から「内側」に来て去っていく人はいても、「内側」から「外側」に出て行く人はいない。竹林くんが戻ってきてしまったように。
つまり、E組の生徒たちにとって「内側」=「世界」。「外側」は無視してもいい存在だった。
たまに「外側」がちょっかいだしてくるけど、殺せんせーと生徒たちは「内側」を無傷で守り続けた。
そんな調子で、卒業式の日まで、E組の子供たちは「内側」で幸せな日々を過ごせる……はずだった。
でも、前回から、E組だけで「世界」は完結しなくなってしまった。
E組の生徒たちはどれだけ強くなっても、中学生の枠内でしか強くなれない。
殺せんせーという強大な力を失えば、自分たちはただの中学生でしかないと思い知らされるばかりだ。
「1%という数字はね、地球を賭けのチップにするには…あまりに高すぎるんだ」
このセリフはあまりにも正論だ。
「明日、あなたが死ぬ確率は1%です。ちなみに原因はこれです」と言われたら、全力でその原因を排除しようとするのが普通だろう。
でも、E組の生徒たちは「正論」を納得しない。
「外側」の「正論」を受け入れない。
思うに、E組の生徒たちはすでに「世界」の終わりを経験しているのだ。
E組落ちした日に、姉を亡くした日に、家族が離散した日に。
そして、殺せんせーの元で、「世界」は劇的に修復された。
E組の生徒たちにとって、「世界」とは殺せんせーにつくりかえてもらったものだ。
だから、E組の生徒たちの「世界」に、殺せんせーは存在していなければならないピースだ。
でも、「外側」の人たちにとって、殺せんせーはこの「世界」から全力をもって排除すべきピース。
排除すべき理由は「正論」すぎて、反論のしようがない。
結局のところ、E組の生徒たちは「外側」がないと生きていけない。
そこには、家族がいて、夢見ている未来がある。
「外側」がないと、先生になれないし、高級官僚になれないからね。
切り捨てて生きていけるだなんて、誰も思っていないだろう。
生徒たちはE組から卒業することで、「外側」へ飛び出すことを決めていた。
「内側」をそれぞれの心のうちに大事にしまいこんで、大人になろうと決めていた。
だけど、「外側」は卒業式の日よりも先に「内側」に攻め込んできた。
「内側」と「外側」が両立できなくなった。
圧倒的な「力」と「正論」に押しつぶされそうな生徒たち。
生徒たちに「正論」はない。
でも「理由」はあるんだ。
だって、殺せんせーに見守られながらE組を巣立つことが、殺せんせーと生徒たちの最後で最大の約束だったのに、それを阻まれようとしているんだから。
それにしても、予想はできてたけど、むずかしい展開になってきたよなあ。
もう、殺せんせーの存在は公になってしまった。
話をE組の中だけでおさめることは不可能になってしまった。
生徒たちは、あくまでも「内側」を守ろうとするのか、ちょっとはやいけど「外側」に飛び出していくのか、「内側」と「外側」が両立できるルートを模索するのか……。
ところで、「大衆はね、いったん恐怖に火が点いたらもう理屈は通用しない」のセリフのコマの背後に、あのマークを描いたあたり、あいかわらず松井せんせーは攻めてるなあ、と思った。